10 未来の事柄に関する教義

565 ヨハネの黙示録14章1‐5節に書かれている比喩には、どのような意味がありますか。


「小羊の名と、小羊の父の名とが記されて(証印が押されて)」とは、十四万四千の者たちが神の財産であるということです。


「その口には偽りがなく、とがめられるところのない」とは、言動において福音に適(かな)った生き方をしてきたということです。


「初穂」とは、キリストによって御許(みもと)に引き上げられる者たちのことです。この者たちがはじめて、完成された救いに与(あずか)ります。


「小羊」とは、イエス・キリストのことです。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハ1:29)。ヨハネの黙示録5章12節には、屠(ほふ)られた小羊が勝利した、という主旨が書かれています。これは、屈辱を受け十字架に磔(はりつけ)となった神の御子が大勝利を収める、という意味でもあります。


救い:問243→以降を参照

「屠られた小羊は、/力、富、知恵、威力、/誉れ、栄光、そして賛美を/受けるにふさわしい方です。」黙5:12

566 「小羊の婚礼」はいつ行われますか。

 

「小羊の婚礼」 ― 花嫁が花婿であるイエス・キリストと一つに結ばれること ― が行われるのは、キリストがおいでになり花嫁の会衆が変貌して神の御許(みもと)に引き上げられた後です。

567 「小羊の婚礼」が行われた後、どうなりますか。

 

花嫁の会衆は共にキリストの栄光に包まれ、神と直接、永遠に交わることになります。

 

花嫁の会衆:問562→以降を参照

「わたしはまた、大群衆の声のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。『ハレルヤ、/全能者であり、/わたしたちの神である主が王となられた。わたしたちは喜び、大いに喜び、/神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、/花嫁は用意を整えた。花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。この麻の衣とは、/聖なる者たちの正しい行いである。』それから天使はわたしに、『書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ』と<…>言った。」黙19:6‐9

568 キリストがおいでになった後、地上ではどのようなことが起こりますか。

 

キリストが再臨された後、人類も被造物もサタンの力に晒されて、苦しむ時代がやって来ます。この時代を「大きな苦難[大艱難(だいかんなん)]」の時代と言います。

 

大きな苦難:問405→, 409→を参照

569 「大きな苦難」の時代に対する防御策はありますか。

 

はい。イエス・キリストの教会に属し、イエス・キリストの御許に引き上げられなかった者たちには、霊的に保護される場所があります。彼らは引き続き天の助けと霊的な配慮を受け、信仰が保護されます。


ヨハネの黙示録には、男の子を産んだ太陽を着た女という喩(たと)えが書かれています。彼らは引き続き、神の支えと霊の配慮を受け、信仰が保護されます(黙12:6参照)。
「大きな苦難」の時代、キリストを公(おおやけ)に言い広めた人たちが殺されることになります。このような堅い信仰を持った証人たちは、殉教者(じゅんきょうしゃ)となります。

570 「大きな苦難」の時代から、殉教者たちにはどのようなことが起こりますか。

 

「大きな苦難」の時代にキリストの証人として殺されたキリスト教徒も、花嫁の会衆に続いて、第一の復活に与(あずか)ることになります。

 

第一の復活:問574→以降を参照

571 「小羊の婚礼」と「大きな苦難」が終わると、どのようなことが起きますか。

 

「小羊の婚礼」が行われた後、イエス・キリストは花嫁の会衆を伴ってもう一度地上においでになり、「大きな苦難」の時代を終息させられます。

572 「大きな苦難」の時代が終わると、サタンに対してどのようなことが起こりますか。


ヨハネの黙示録20章1‐3節によれば、サタンとそれに従う者たち ― 神への抵抗勢力 ― は「縛」られて、「底なしの淵」に投げ入れられることになります。そのためあらゆる力が彼らから取り上げられて、しばらくの間誰もサタンの誘惑を受けることはなくなります。

573 サタンが拘束されて、その力が奪われると、何が起こりますか。


サタンが拘束され、神に抵抗する力がすべて奪われると、「大きな苦難」の時代に殉教者(じゅんきょうしゃ)となった者たちが復活します。こうして殉教者も第一の復活に与(あずか)ることになります。

574 第一の復活ではどのような出来事がありますか。

 

第一の復活では、「キリストに結ばれて死んだ人たち」が復活し、さらに花嫁の会衆に属す人たちが神の御許(みもと)に引き上げられます。


「天の婚宴」が行われた後、「大きな苦難」による殉教者(じゅんきょうしゃ)たちは復活して、王の血統を受け継ぐ祭司たちの一部となります。


この二つの出来事が「第一の復活」と呼ばれます。「第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する」(黙20:6)。


携挙(けいきょ)/変貌:問559→以降を参照 / 「大きな苦難」:問569→以降を参照

575 第一の復活の次には、どのようなことが起こりますか。

 

第一の復活が終わると、イエス・キリストは平和の御国をお建てになり、「千年の間」統治されます。この千年という言葉は、長期ではあるものの限られた年月を表す象徴です。

576 この期間においても、人は罪を犯すのですか。

 

はい。たとえサタンがその力を奪われて、誰一人罪に誘い込むことができなくなっても、罪を犯しやすい性質までが取り上げられたわけではないので、人は罪を犯す者であることに変わりはなく、いつかは死ぬ存在であり続けます。ただし第一の復活に加わった者たちは例外です。


罪を犯しやすい性質:問227→とその解説を参照 / 第一の復活:問574→を参照

577 この地上が千年の平和王国の時代である間は、どのようなことが起こりますか。

 

千年の平和王国の時代、イエス・キリストと王の血統を継ぐ祭司たちが、妨害を受けることなく、福音を宣べ伝えます。福音は地上にいるすべての人々はもとより、陰府(よみ)の領域にいるすべての魂にも伝えられます。千年の平和王国が終焉(しゅうえん)を迎えるまでに、あらゆる時代に生きたあらゆる人々が、イエス・キリストの福音を知ることになります。

 

王の血統を継ぐ祭司:問259→, 409→, 574→を参照

578 千年の平和王国が終焉を迎えると、どのようなことが起こりますか。

 

千年の平和王国が終焉を迎えると、サタンは解放され、人類を誘惑する最後の機会が与えられます。キリストがサタンに勝利した後、サタンは「火と硫黄の池に投げ込まれ」ます(黙20:7‐10)。それ以降、永遠に悪の力は失われます。

579 悪がその力を奪われると、どうなりますか。


悪が永遠にその力を失った後、裁きを受けるために死んだ者たちが復活します。そしてこれまで世に生を受けたすべての人類を、イエス・キリストが裁かれます。ただし第一の復活に加わった者たちは、この最後の審判を免除されます。

「最後の審判」は第一の復活に加われなかったすべての人類に対して、最後に行われる裁きであります。最後の審判については、ヨハネの黙示録20章11 ‐15節に書かれています。

「死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。」黙20:12

580 最後の審判において恵みを見出す者たちに対しては、どのようなことが行われますか。

 

最後の審判で恵みを見出す者たちは ― 第一の復活に与(あずか)った者たちと共に ― 神がもたらす新しい創造による天地の市民となります。そして彼らは皆、神と永遠に交わることとなります。それ以外の者たちは、神から離れた、惨めな状態に留め置かれます。

581 神による新しい創造について、聖書にはどのように書かれていますか。

 

最後の審判が行われた後、神は古い被造物を新しい被造物にされます。「神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自(みずか)ら人と共にいて、その神となり[…]」(黙21:3)。このようにして、ペトロの手紙二3章13節で表現されている、待ち望んでいることが実現します。「しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。」この神の御国は永遠です。そして神がすべてにおいてすべてとなります(一コリ15:28)。